静岡県の歴史①(古代~中世)

2017年夏に静岡県知事選挙が行われる予定です。現職の川勝平太氏が再選するかが注目されています。今回の記事では、それを機に、静岡県についてまとめたいと思います。静岡県知事選挙に向けて、静岡県という地域がそもそもどのような地域なのかを知っておくことによって、静岡県知事選挙の動向に対する理解が深まると判断したためです。今回の記事では、静岡県の歴史について考えたいと思います。

古代の静岡県

静岡県のルーツは駿河国の国府にまでさかのぼります。数多くの遺跡が発掘されているためです。当時、静岡県の地方では、駿河国遠江国伊豆国が存在していたと言われていますが、駿河国が静岡県のルーツだという主張が強いようです。静岡県の「焼津」という名前は古代の書記であるヤマトタケル伝説に由来します。ヤマトタケルが駿河国においてだまし討ちにあった際、草を焼き切って逃亡したという伝説が残っています。この野原を「焼津」と呼ぶようになったようです。やがて、駿河国は大荘園を建設します。そして、伊豆国では武士団が誕生します。駿河国では藤原南家の末裔が住んでいたようです。
歴史

中世の静岡県

中世は武士が大頭していきます。平清盛に敗れた源義朝は東国へ逃亡する際に暗殺され、その息子である源頼朝は伊豆に流されました。伊豆において、東国の武士たちから支援を受けた源頼朝は平家打倒のために挙兵します。そして治承・寿永の乱が起こります。相模国や東国を舞台にこの戦は起こりますが、富士川の戦いで、平家軍は鳥の羽音に怯え、大敗します。やがて静岡県地方は源頼朝の傘下に入ることになります。平家が滅び、源頼朝は鎌倉幕府を作ります。伊豆は北条氏の守護となり、駿河は武田信義の守護、遠江は安田義定の守護の治める地域となります。しかし、源頼朝は甲斐源氏の静粛を行い、伊豆・駿河・遠江は北条氏の治めることとなりました。北条氏が執権についた後、承久の乱において、伊豆・駿河・遠江は恩賞を獲得し、勢力を伸ばすことになります。

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