静岡県の歴史②(戦国時代)

2017年夏に静岡県知事選挙が行われる予定です。現職の川勝平太氏が再選するかが注目されています。今回の記事では、それを機に、静岡県についてまとめたいと思います。静岡県知事選挙に向けて、静岡県という地域がそもそもどのような地域なのかを知っておくことによって、静岡県知事選挙の動向に対する理解が深まると判断したためです。今回の記事では、静岡県の歴史について考えたいと思います。

中世の静岡県

南北朝時代になると、静岡県は今川氏の治める世の中となります。駿河国に今川氏が入り、支配を強めます。今川氏は駿河国と遠江国の守護大名となり、やがて守護大名は戦国大名となります。その今川氏の中で一大勢力を誇ったのが今川義元です。現在のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」でもおなじみですね。今川氏は勢力を強めていき、「天下に一番近い男」という支配者になっていきます。この間、三河では松平元康(後の徳川家康)が独立するなど、動きはありました。やがて武田信玄の大頭により、世の中は大きく変わっていきます。今川氏の領国は武田氏と徳川氏が分割することによって対立し、武田氏と徳川氏は対立します。武田氏に今川義元はてこずったようですが、武田信玄の死により、いったんこの動乱は終息します。天下をとると思われていた今川義元ですが、桶狭間の戦いにおいて、小国の主に過ぎなかった織田信長にまさかの大敗を期します。今川義元はここで亡くなります。織田信長は徳川家康と手を結び、長篠の戦いにおいて、武田氏を滅亡させ、一大勢力となりました。しかし、明智光秀の謀反により、天下統一を目前に控えていた織田信長は自害します(本能寺の変)。信長の死後、豊臣秀吉が大頭し、静岡県の地方は徳川家康の治める影響下に入ります。
戦国時代
豊臣秀吉が北条氏を破って天下統一を果たすと、徳川家康は江戸に移され、静岡県の地方は中村一氏や山内一豊、堀尾吉晴らが入り、織田家の家臣が収めることとなりました。その後、徳川家康が江戸幕府を開くと、後継者の徳川秀忠が将軍職に就き、静岡県の一地方である駿河には大御所政治を置きました。江戸時代の駿河国には水野出羽守ら、遠江国には田沼玄蕃頭ら、伊豆国には代官江川太郎左衛門らが入り、複雑な支配の下に置かれました。以上が静岡県の戦国時代の歴史です。

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