静岡県の歴史➂(江戸時代)

2017年夏に静岡県知事選挙が行われる予定です。現職の川勝平太氏が再選するかが注目されています。今回の記事では、それを機に、静岡県についてまとめたいと思います。静岡県知事選挙に向けて、静岡県という地域がそもそもどのような地域なのかを知っておくことによって、静岡県知事選挙の動向に対する理解が深まると判断したためです。今回の記事では、静岡県の歴史について考えたいと思います。

江戸時代の静岡県

静岡県は、徳川家康が作った江戸幕府による新時代の体制の影響下に入っていきます。この頃、江戸日本橋ら京都までの宿屋が一斉に整備され、静岡県もその影響下に入りました。この時代、新田開発が行われ、米や麦などの生産物の増加、茶などの特産品の生産も行われました。伊豆では金銀山が発掘されました。江戸時代には飢饉がたびたび起こりました。天保の飢饉では静岡県の地方でも被害を受け手、打ちこわしや百姓一揆などが大量に発生したと言われています。この時代には、鎖国の影響下により、国学が整備されて、多くの私塾が建てられました。余談ですが、現代の世の中でも私塾設立ブームが起こっており、この時代から我々は学べることがあるかもしれません。静岡県でも遠州国学などが発展しました。
江戸時代の静岡県
幕末になると、ペリー率いる黒船の艦隊が日本に迫り、下田・函館の開港を機に、日本は開国へとなびいてきます。それまでの幕府支持から尊王攘夷運動と呼ばれる急進派が発展し、世の中はやや乱れました。静岡県もこの影響にされされたと言われ、多くの若き志士たちが募られたと言われています。やがて、坂本龍馬の手引きによる薩長同盟を機会に、江戸幕府は崩壊に導いていかれ、最後の将軍である徳川慶喜は大政奉還を行い、江戸幕府は事実上なくなりました。200年にわたり、太平の世を築いてきた江戸幕府の時代は終わってのです。いわゆる明治維新です。明治時代になると、日本は世界を相手に戦うことを決意し、近代化がすすめられます。以上が江戸時代の静岡県の歴史です。

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