川勝静岡県知事が激怒した2.2点の評価とは?川勝知事は謙虚に受け入れるべきでは?

3行サマリー

自民党会派が発表した2.2点の評価を「心が低い」と人格攻撃
知事の自己評価は「やったこと」基準で自民党評価は「成果」基準
統計的には静岡の状況は最悪! 2.2点の評価も妥当か!?

自民党会派が発表した2.2点の評価を「心が低い」と人格攻撃

「低い評価には、低い心が現れているのでは」

 記者会見での知事の発言には、聞いていた記者も、中継を見ていた有権者も「なんと傲慢な態度だ」と耳を疑ったに違いない。2月6日に静岡県議会自民改革会議は発表した「県政検証」の点数に対しての知事の感想である。本来権力の座にあるものは、批判に対して謙虚に耳を傾ける姿勢をとり続ける必要があるのではないだろうか。
 にもかかわらず川勝知事は2.2点という評価に対し、自分自身を富士山に例え、横山大観の「富士を描くということは、富士に写る自分の心を描くことだ」という言葉にからめ、「低い評価には、低い心が現れているのでは」と批判する側を侮辱する発言をしたのである。しかし、そうした人格攻撃のような手法に出ざるを得ない背景には、2.2点の評価が相応の説得力を持っていたからである。

知事の自己評価は「やったこと」基準で自民党評価は「成果」基準

 自民改革会議の出した県政検証の資料は、自民改革会議の事務局や自民党の各支部に行けば誰でも入手できる。かなりのボリュームがある資料なので、ここでその全てを解説することは出来ないのだが。知事の自己評価と自民改革会議の評価に大きな開きが生じている原因はその評価の基準にある。
 知事は自民改革会議の県政検証に対する反論として、静岡県の実施した「ふじのくにづくり白書」の評価の指標の一部しか検証に用いていないとしている。「ふじのくにづくり白書」の評価では、268の数値目標をかかげ、その60%が「着実に進んでいる」としている。
 しかし、268の評価基準には「やったこと」を評価する数値目標と「成果」を評価する数値目標が混在しているのだ。例えば、「県の事業に参加する子育て支援団体の数」というような数値目標は県職員の努力を計る指標であり「やったこと」に対する評価だ。一方で「自分の住んでいるまちが子ども生み、育てやすい」と感じている人の割合は「成果」に対する評価となる。県の評価では「やったこと」と「成果」が並列で評価されている。その中から「成果」に着目して評価したのが自民改革会議の県政検証である。
 先ほどの例でいうと「県の事業に参加する子育て支援団体の数」は目標値をクリアしているが、「自分の住んでいるまちが子ども生み、育てやすい」と感じている人の割合は目標値をクリアするどころか、年々低下し初年度の基準値すら下回っている。こうした「成果」に着目した評価こそ、本来の県民目線の評価なのではないだろうか。

統計的には静岡の状況は最悪! 2.2点の評価こそ妥当!?

 さらに大きな統計でみれば、静岡県は人口流出で全国のワーストをひた走り、県内総生産の回復は他県に遅れをとっている状況である。これは紛れもなく川勝県政の「負の成果」である。
 自民改革会議は2.2点を県と県議会の共通の成果として、評価した自身の課題でもあるという姿勢を表明しているが、知事は聞く耳を持たず「心が低い」と認めようとしない。パフォーマンスと他者攻撃ばかりの川勝知事に知事選挙という審判の時が迫っている。

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